Jeff Williams

Jeff Williams

リアルなもの:ロザリンド・E・クラウスへのインタビュー(1)


http://www.artcritical.com/2013/08/30/rosalind-krauss-interview/


小説家デイヴィッド・プランテによるこの率直で鋭いインタビューにおいて、著名な美術史家ロザリンド・クラウスは、自分の生い立ちを掘り下げ、デイヴィッド・スミスやウィリアム・ケントリッジ、ジョアン・ミロ、リチャード・セラといった多様なアーティストへの批評的関心の基礎をなす形成期の影響を明らかにしている。歴史的前衛に対するクラウスの親近感にも関わらず、彼女はインスタレーションやヴィデオに対する敵対心に話が及ぶと、追及の手を一切緩めないのだ。

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著者(ディヴィッド・プランテ)記す:私は2003年の10月、ニューヨークの自宅でロザリンドにインタビューをしました。インタビューの文字起こしをし、それから「えー」とか「あー」とか言った部分を削除し、文の形を若干引き締めつつ、自分の台詞部分をカットし、ロザリンドの私の質問に対する返答をいくらか編集しました。ロザリンドは大変明快に自身の意見を語れるため、これについては全く問題ありませんでした。興味深いのは、私がそのインタビューで鮮明に覚えているのは、ロザリンドのエレガントな両手の仕草や、くっきりとコーティングされた長い爪、時折頬や唇にそっと人差し指を触れたりすることでした。私はそのインタビューがどの出版社に渡すものだったのかを思いだせません。


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子どもの頃、ワシントンD.C.で、多くの子ども達がするように私は絵を描いていました。両親はこれをとても真剣に受け取り、私をアートスクールにやりました。父は司法省の弁護士でした。司法省は国立美術館の右隣のダウンタウンにあり、そこで父と私はいっしょにランチを食べたり、ギャラリーを回ったりしたものでした。モダン・ギャラリーでは、よく父は作品を批判し、私が作品を擁護しました。私はある種の好戦的な態度を身につけました。父に対して、これらのモダンな美術作品がくだらないものではなく、本当に重要なのだと納得させようと試みなければならなかったからです。

また、私はフィリップス・コレクションも紹介されました。最もすばらしい19世紀建築の家です。この大きな家では、通常人々の姿はなく、家具と絵画で満たされていました。ダイニングにあるピアノの上には、ルノワールの著名な《舟遊びの昼食》がかかっていて、その部屋にある太陽光のようでした。上の階の寝室には、クレーの絵画コレクションがあり、たくさんの大変美しいブラックや後期キュビズムの階ががありました。私は寝室の床の素敵なカーペットに座り、これらの作品を眺め、完全に魅了されてしまいました。

それから後、私はフィリップ・コレクションにあるマーク・ロスコの作品を扱おうとしました。私は、ロスコの絵画がとても美しく、同時に大変難しいと知りました。私は批評の文献をすべて読みましたが、それらの文献は私をどこへも連れて行ってはくれませんでした―エイドリアン・ストロークスのすばらしい本の一章に出会うまでは。その本で彼は(絵画の)表面の色と映画の色の差異について書いていました。映画の色がロスコの色を記述する方法なのだということが私にははっきりわかりました。ストロークスは大変美しく、また大変適切な批評語彙を発展させていたと感じました。

ウェルズリー大学の学部時代、私は美術史を専攻していました。はじめ、私は美術史がどのように教えられ、美術を説明し、あるいは説明しないのかを受け入れていました。ウィレム・デ・クーニングの作品について卒論を書こうと決めたとき、美術の受け入れていた見方に自覚的になりました。私はその時点までウェルズリーで何も教わってこなかったのだと、クーニングの作品にアクセスするいかなる手段も教えてもらっていなかったことに気がつきました。私はそのことを大変重要なことだと考えました。その頃クレメント・グリーンバーグの『芸術と文化』がちょうど出版され、読み進めるうちに私はデ・クーニングの作品の力を説明するためにはどんな語彙が必要なのかを理解し始めました。(分析的キュビズムのような)絵画の構造のある種の諸形式を、デ・クーニングのような後のアーティスト達は必要としたのであり、そしてデ・クーニングのように、本質的に依拠するものなのだと、私は理解しました。

私が大学院生としてハーヴァードへ行ったとき、クレム(クレメント)を紹介され、私たちは友人になりました。彼との関係が破綻した経緯については込み入っています。大部分はヴェトナム戦争をめぐってのことでした。彼はヴェトナム戦争においては大変なタカ派で、もちろん私はハト派でした。私は彼との会話が著しく苦痛になっていったことに気づきました。私たちの会話は政治的で、彼の政治学は私にとって不愉快なものだったからです。確執の本当の決め手はこうでした。ニューヨークへは、私がアートフォーラムの編集委員会にいたこともあって、レビューのために毎月行っていたのですが、私はそこでリチャード・セラの作品にとても、とても確信を覚えだしていました。クレムはミニマリズムのすべてを非難しているので、当然セラの作品も非難していました。私は彼が間違っていると考えました。ですから、私たちは現代の作品と、政治について袂をわかったのです。

彫刻について私が理解していることはすべて、重量と重力の関係性によって強調された内部の補強材を外面化させることと、重量と重力に抵抗する内部の補強材に関係がありました。私がセラの作品に見たものはまさにそれでした。私は彼の作品をルネッサンス彫刻の最も重要な伝統の上にフックをかけているものと見ました。セラへのクレムの敵意は適切ではないし、私のためでもないと考えました。

セラの作品の物質性がクレムを攻撃しているので、彼はセラの作品に敵意を向けたのだと私は考えています。クレムの芸術に対しての全体の関係性は、信じがたいほど目的論的なものでした。彼の考えは、芸術はある場所へと最終的に向かわなければならないというものでしたし、もし作品がそうした道筋に貢献しなければ、彼はそれを非難しました。セラの作品の究極の物質性は、彫刻とはクレムが視覚性と呼ぶもの―ある種透明な質ーへ向かって著しく向かっているものだという彼の考えを逸脱したのだと思います。クレムはその視覚性をデイヴィッド・スミスの作品にみたのでした。

松本菜々

松本菜々

佐藤修康

佐藤修康

Hugh Scott-Douglas

Hugh Scott-Douglas

Hugh Scott-Douglas

Hugh Scott-Douglas

Robert Fillou

Robert Fillou

Angus Fairhurst 1996

Angus Fairhurst 1996

Angus Fairhurst

Angus Fairhurst

Cheryl Donegan Head

(Source: vimeo.com)

Cheryl Donegan - Kiss My Royal Irish Ass 1992

Jes Brinch

Jes Brinch

1992 (via Holly, Gretel - Damien Hirst)
This installation was first exhibited at Jay Jopling’s stall at the inaugural ‘Unfair’ in Cologne in 1992. This alternative fair, held in a disused factory, was established in response to young gallerists who had been excluded from Cologne Art Fair. Seated identical twins are positioned in front of a pair of Hirst’s spot paintings, which are applied directly onto the wall behind. The work’s title changes according to the names of the participating twins, thus when first exhibited in 1992 it was variously subtitled ‘Marianne, Hildegard’ and ‘Ingo, Torsten’.
Twins and pairs are a recurring theme in Hirst’s work. The idea of duplicating something in order to reinforce an idea is essential to the implied endlessness of the spot painting series. Of the idea of a parallel self he explains: “It implies that you’re not unique. I had that dream – which was terrifying – of meeting myself. I know I’m unique. But I think of it as bookends. I think everybody’s two. You’re cut in half. You cut yourself down the fucking middle. You are two. It undermines this idea of being unique. There’s a comfort I get from it that I love. Each part of a pair has its own life, independent of the other, but they live together.”[1]
In 2009, the piece was exhibited for a second time, employing over a hundred sets of twins at Tate Modern’s travelling group exhibition ‘Pop Life: Art in a Material World’ (travelled to: The National Gallery of Canada, Ottawa (11 June – 19 September 2010)). It has since been included in the performance art group exhibition ‘12 Rooms' at the Ruhr Triennale 2012.

1992 (via Holly, Gretel - Damien Hirst)

This installation was first exhibited at Jay Jopling’s stall at the inaugural ‘Unfair’ in Cologne in 1992. This alternative fair, held in a disused factory, was established in response to young gallerists who had been excluded from Cologne Art Fair. Seated identical twins are positioned in front of a pair of Hirst’s spot paintings, which are applied directly onto the wall behind. The work’s title changes according to the names of the participating twins, thus when first exhibited in 1992 it was variously subtitled ‘Marianne, Hildegard’ and ‘Ingo, Torsten’.

Twins and pairs are a recurring theme in Hirst’s work. The idea of duplicating something in order to reinforce an idea is essential to the implied endlessness of the spot painting series. Of the idea of a parallel self he explains: “It implies that you’re not unique. I had that dream – which was terrifying – of meeting myself. I know I’m unique. But I think of it as bookends. I think everybody’s two. You’re cut in half. You cut yourself down the fucking middle. You are two. It undermines this idea of being unique. There’s a comfort I get from it that I love. Each part of a pair has its own life, independent of the other, but they live together.”[1]

In 2009, the piece was exhibited for a second time, employing over a hundred sets of twins at Tate Modern’s travelling group exhibition ‘Pop Life: Art in a Material World’ (travelled to: The National Gallery of Canada, Ottawa (11 June – 19 September 2010)). It has since been included in the performance art group exhibition ‘12 Rooms' at the Ruhr Triennale 2012.

Damien Hirst

Damien Hirst

Dike Blair

Dike Blair