"もっとも、森村の突出を予告させるような動きは、すでに「関西ニューウェーブ」という形で顕在化していた。これは、ダイナミックな空間の活用やバイオモルフィックな造形、禁欲を破るような色彩や、あっけらかんとしたユーモアで、それまで東京を中心に展開されてきた現代美術の動きとは一線を画していた。なかでも、石原友明が果たした役割は大きい。身体の発見、写真の活用、素材の拡張、アート・ゲーム的センス、プラモデル的キットの導入など、いずれも、大胆かつ新鮮な手法であった。また、この範疇ではないが、かつて「スペース・ロブスターP’81」(ポートピア、1981)なる超絶的な作品を披露した榎忠も、関西シーンの潜在的な起爆剤であり続けている。"

椹木野衣「「レントゲン藝術研究所」という時代 バブリーな開放感から、ニヒリズムの爆発へ」『美術手帖』2005年7月号

景観ーもとの島

http://www.smt.jp/keikan/index.html

2005年2月1日(火)~2月28日(月)

せんだいメディアテーク

参加作家:関口敦仁、中原浩大、高嶺格

日常的に「~系の人」などと耳にすることがあります。文系、理系、免疫系、体育会系、外資系、アキバ系、神経系、出会い系、複雑系…。これらの系という 言葉は特定の性質によるまとまりとして理解されてます。私たちは様々な性質を持ったこのような「系」で構成された社会の中で、それぞれに属し、関わり合い ながら暮らしてるといえるでしょう。系は、行動のプロセスであり、経験の記憶です。それは私たちをとりまく(世界についての)情報のシステムなのです。
 しかし私たちは、自らが関係していない別の系を意識することは勿論、自分自身が関わっている系ですら理解することは難しいのではないでしょうか。そんな 中で、もし仮に、様々な情報のシステムをヴォリュームとして捉え、イメージすることが可能だとしたら、漠とした系に形が生まれ、視覚的に認識することがで きるかもしれません。それによって自分をとりまく系の存在と、それら系同士の関わり方、更には、広大な系の集合である私たちの世界の景観が見渡せるのでは ないでしょうか。景観(Landscape)とは、見た目の景色という意味だけでなく、群集生態学における生態系の集合体としての意味を表しているので す。
 宮城県牡鹿半島の沖にある島、金華山。周囲26キロからなるこの島は、古来より霊島とされ、1200年余の歴史を待つ金華山黄金山神社があります。金華 山は、この神社以外は基本的に無人で、猿や鹿が群を作って生息し、植物は猿や鹿に補食されないよう独自の形態へと変化しています。金華山の生態系は、周辺 の地域とは異なる独自の性質を持ち、様々な大学や研究者によって調査研究が行われていました。
 この展覧会「景観-もとの島」は、この希有な島、金華山をモチーフとして取り上げ、系を視覚化する足がかりとしつつ、関口敦仁、中原浩大、高嶺格の3名 のアーティストが、日常とは異なる側面からさまざまな社会の系、或いは作家自身を含むかもしれない存在の系を「かたち」として表現します。そして、人間の 生活に留まらず、動物や植物も含めた、多様な系に見られる細部のイメージと、私たちの景観の全体的なヴォリュームの関係性を視覚化します。

"以前、私は不毛の七〇年代という言い方をしました。この言い方はほかの人によっても用いられるようになったが、もっと認識されるべきです。七〇年代はメディアの多様化にもかかわらず、ネオ・アヴァンギャルド、メタ・アートが深化したと言えば聞こえがいいが、それがだらだらと続いてきた時期に当たります。"

藤枝晃雄「メタ理論を遁れて」『芸術/批評』0号(2003)

※田中功起のインタビューに基づく

藤代冥砂

藤代冥砂

Syun’ichi SUGE / 菅 俊一 / すげ しゅんいち

ワークショップ「音をぬすむ」( workshop / 2013.5 )

"隣り合わせの独房に入れられ、壁をこつこつとたたいて通信しあう囚人ふたり。壁は、ふたりを分けへだてているものであるが、また、ふたりに通信を可能にさせるものでもある。わたしたちと神のあいだも、そんなぐあいだ。どんな分けへだても、きずなになる。"

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』

朝倉優佳

朝倉優佳

朝倉優佳

朝倉優佳

Mike Kelley MOCA

Mike Kelley MOCA

"疲労は実存者によって実存することにもたらされる遅延のようなものである。そしてこの遅延が現在を構成する。実存のなかのこの距たりのおかげで、実存は一個の実存者と実存そのものとの関係になる。疲労とは、実存のなかでの一実存者の浮上なのだ。"

レヴィナス『実存から実存者へ』

"身体は出来事を表現するのではなく、身体そのものが出来事なのだ。それが、ロダンの彫刻から受けるもっとも強い印象のひとつである。彼の彫刻の人物たちは、けっして型にはまった抽象的な台座に置かれてはいない。彼の彫像が遂行している出来事は、その彫像とひとつの魂——彫像が表現しているのかもしれない知識ないし思考——との関係のうちにあるというより、はるかにその土台との関係のうちに宿っている。"

レヴィナス『実存から実存者へ』

Neža Agnes Momirski

Neža Agnes Momirski

"「しなければならない」の根底に「存在しなければならない」を見てとったとき"

レヴィナス『実存から実存者へ』

欠如に悪を見いだすのではなく、存在自体に悪が備わっている、とするレヴィナスにおいては、この記述は胃がねじきれそうにすら、なる。

"捕囚の境涯で記述され、大戦明けに世に出たこの著作に呈示されたの期限は、子供のときから胸に秘められ、不眠のさなかで沈黙が響きわたり空虚がみなぎるときにふたたび現れる、あの奇妙なオプセッションのひとつにまでさかのぼる。"

エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』

Luca Trevisani

Luca Trevisani